「自由な働き方」の本当の価値

こんにちは。シングルファザーのまるです。

フリーランスになったと話すと、「自由でいいですね」と言われることがあります。

たしかに、会社員だった頃と比べると、自由になった部分はたくさんあります。毎朝決まった時間に家を出る必要はなくなりました。通勤もありません。仕事をする場所や時間も、ある程度は自分で決められます。

平日の昼間に少し用事を済ませたり、子どもの予定に合わせて仕事の時間をずらしたりすることもできます。会社員だった頃の自分から見れば、今の生活はかなり自由に見えると思います。

ただ、一年ほどこの働き方を続けてみて、自分が本当に価値を感じているのは、好きな時間に仕事ができることではないと気づきました。

自分にとっての自由は、何もしなくていいことではありません。

「何に時間を使うかを、自分で選べること」です。


会社員だった頃は、毎日があっという間に過ぎていました。

朝起きて、仕事をして、帰宅して、夕食を作り、家事をして、子どもを寝かせる。ひとつずつ必要なことをこなしているだけで、一日が終わっていました。

やるべきことを放置していたわけではありません。仕事も生活も、自分なりにきちんと回そうとしていました。

それでも、一日の中に余白はほとんど残りませんでした。

平日にできなかった家事を休日にまとめて終わらせ、少し休んだら、また翌週の仕事が始まる。休みの日なのに、疲れを取るだけで終わってしまうことも珍しくありませんでした。

生活に困っていたわけではありません。毎月決まった給料が入り、先の見通しも立てやすかったです。安定という意味では、今よりも会社員だった頃の方が安心できました。

ただ、「やってみたい」と思ったことが、ずっと後回しになっていました。

本を読みたい。文章を書きたい。新しい技術を試したい。自分のサービスを作りたい。子どもの活動にも、もう少し関わってみたい。

思いつくたびに、「今は忙しいから、時間ができたらやろう」と考えていました。

けれど、時間はなかなかできませんでした。

仕事が落ち着いたらと思っても、ひとつの仕事が終われば次の仕事が始まります。子どもがもう少し大きくなったらと思っても、その頃には別の忙しさが増えているかもしれません。

今振り返ると、時間が自然に空くのを待っている限り、ずっと同じままだったのだと思います。


働き方を変えてから、一番変わったのは収入ではありませんでした。

時間の使い方でした。

日中は仕事をしていても、以前よりも時間を調整しやすくなりました。子どもが学校や学童から帰ってくる時間に家にいられます。学校であったことを聞いたり、一緒に夕食を食べたりする時間も増えました。

会社員だった頃は、時間に追われると、つい「早くして」と言ってしまうことがありました。

早く着替えて。早く食べて。早くお風呂に入って。早く寝て。

自分に余裕がないため、子どものペースを待つことができませんでした。今も急かしてしまう日はありますが、以前よりは立ち止まれるようになった気がします。

そして、子どもとの時間だけでなく、自分の時間の使い方も変わりました。

以前から興味があった、ミニバスケットボールのアシスタントコーチを始めました。練習を手伝うだけでなく、審判ができるようにルールの勉強も進めています。

ブログやnoteも書き続けています。

すぐに大きな収入になるわけではありません。それでも、自分が考えていることや、これまで経験してきたことを文章として残せるようになりました。

Obsidianに日記や読書記録、調べたことを蓄積し、あとから振り返れる仕組みも作っています。GitHub ActionsやAIを使い、毎朝の天気や予定、タスクをまとめて通知する仕組みも作りました。

どれも、生活に絶対に必要なものではありません。

作らなくても困らないものですし、すぐに仕事につながるとも限りません。

会社員だった頃にも興味はありました。ただ、当時は「時間ができたら試してみよう」と考えているだけでした。

今は、思いついたことを小さく試せるようになりました。

この変化は、自分にとって想像していた以上に大きなものでした。


もちろん、時間を選べる働き方には代わりに失ったものもあります。

収入は会社員だった頃ほど安定していません。今月仕事があっても、来月も同じように続くとは限りません。案件が終われば、次の仕事を探す必要があります。

会社員であれば当たり前のようにあった有給休暇や賞与もありません。休もうと思えば休めますが、仕事をしなければ、その分だけ収入が減ることもあります。

自由に休めることと、安心して休めることは違います。

時間に余裕がある日でも、「この時間にもっと仕事を入れた方がいいのではないか」と考えることがあります。

もう少し案件を受ければ、収入を増やせるかもしれない。空いた時間をすべて仕事に使えば、将来への不安も少なくなるかもしれない。

SNSを開けば、自分より長く働き、多くの仕事をこなし、高い収入を得ている人が目に入ります。

そのたびに、「自分はこのままでいいのだろうか」と考えます。

自由な働き方を選んだからといって、不安がなくなるわけではありません。むしろ、自分で決められるからこそ、その選択が正しいのか迷うことが増えました。

仕事を増やすのか。今の余白を守るのか。目の前の収入を優先するのか。これからにつながる挑戦に時間を使うのか。

誰かが正解を決めてくれるわけではありません。

自由には、自分で選び続ける責任もついてきます。


それでも、自分は今の働き方を選んでよかったと思っています。

それは、楽に暮らせるようになったからではありません。

時間ができたことで、「やってみたい」と思ったことを実際に始められるようになったからです。

もし会社員のままだったら、ミニバスのアシスタントコーチは引き受けていなかったかもしれません。仕事と家事だけで余裕がなく、休日まで体育館へ行く決断はできなかったと思います。

noteやブログも、ここまで続いていなかったかもしれません。

AIやプログラムを使って、暮らしを少し便利にする仕組みを作ることも、興味を持ったまま試さずに終わっていた可能性があります。

時間に余白があるから、興味を持ったことに手を伸ばせます。

実際にやってみると、うまくいかないこともあります。作ったサービスが使われないこともあれば、書いた記事がほとんど読まれないこともあります。

それでも、試したからこそ分かることがあります。

向いていなかったと分かることも、次にやりたいことが見つかることもあります。

時間があるから挑戦できる。挑戦したことで、新しい人や考え方に出会い、次の時間の使い方が見つかる。

まだ小さな変化ですが、そんな循環が少しずつ生まれている気がします。


最近は、「自由な働き方」という言葉を聞くと、少しだけ違和感があります。

好きな時間に起きられることや、平日に出かけられることも、もちろん自由のひとつです。

ただ、自分にとっては、それが一番大切なことではありませんでした。

自分にとっての自由は、「今日はこれをやってみよう」と思ったことを、本当にやってみられることです。

子どもの話をゆっくり聞く。ミニバスの練習に関わる。興味を持った技術を試す。文章を書く。自分のサービスを作ってみる。

やりたいと思ったときに、少しでもそこへ時間を使えること。

やらないことも含めて、自分で選べること。

それが、働き方を変えて得られた一番大きな価値でした。

この先も、今の働き方が正解なのかは分かりません。収入を優先しなければならない時期が来るかもしれませんし、もう一度会社員として働く可能性もあります。

今の自由を守ることばかり考えて、将来への備えが足りなくなってもいけません。

だから、今の働き方をきれいごとだけで語ることはできません。

自由になった代わりに不安が増え、選択肢が増えた代わりに迷うことも増えました。

それでも今は、この時間でしかできないことがあります。

小学2年生の息子と過ごせる時間も、興味を持ったことへ挑戦できる時間も、ずっと同じ形で続くわけではありません。

何年か後に振り返ったとき、もっと仕事をしておけばよかったと思う可能性もあります。

それでも、自分で選んだ時間を使って、子どもと過ごし、やってみたかったことへ手を伸ばした経験は、きっと残ると思います。

だからもう少し、この「時間を選べる働き方」を大切にしてみます。